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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)6055号 判決 1976年4月19日

原告

若林典三郎

被告

日本国有鉄道

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し金六四二万五、六八六円およびこれに対する昭和四九年八月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の主張(請求原因)

一  旅客運送契約の成立

原告は、昭和四八年三月五日午前八時三〇分頃、被告の本八幡駅で同駅職員に対し同駅から浅草橋までの区間の定期乗車券を呈示して電車に乗車したので、右乗車とともに原、被告間に本八幡駅から浅草橋駅まで原告を安全に運送すべき旨の旅客運送契約が成立した。

二  債務不履行

原告は、同日午前八時四〇分頃亀戸駅総武線上りホーム中央附近において、電車内の混雑のため一たん降車客とともに電車から押し出された後再度同電車に乗車したが、その際、原告の左足が車内に入りきらないうちに電車のドアが閉まり原告の左足くるぶし上部を右ドアではさんだまま電車が発車したため、原告は左足をはさまれ体をねじられた不自然な姿勢のまま車内の混雑による乗客の強い圧迫を受け、下腿打撲傷、肋骨骨折、腰部捻挫の傷害を受けた。

三  損害

(一)  治療関係費用 一〇万三、六八六円

原告は右傷害の治療のため次のとおりの金員を支出した。

1 医薬品代 五万円

2 墨東病院治療費 三万三、一八六円

3 イスクラ針灸院治療費 八、五〇〇円

4 小川病院治療費 八、七六〇円

5 通院交通費 二、七六〇円

墨東病院通院のための電車往復運賃一二〇円の九日分およびイスクラ針灸院通院のための電車往復運賃二八〇円の六日分

(二)  逸失利益 四三二万二、〇〇〇円

原告は、本件事故当時フロンテイア喜世株式会社に荷造工として勤務し、一ケ月八万一、〇〇〇円の収入を得ていたが、本件事故による受傷のための左足に神経障害をきたして歩行も思うようにならず、軽易な労務以外の労務に服することができなくなつた。したがつて、右後遺障害の程度は自賠法施行令別表七級四号に該当し、原告は右後遺障害により労働能力の五六パーセントを喪失したことになるところ、原告は本件事故当時五七才であり、五七才の平均余命は一八・八五年であるから、原告の就労可能年数は右平均余命の二分の一である九・四二年とみるのが相当である。

そこで、以上の数値を基準にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の右後遺障害による逸失利益の現価を計算すると四三二万二、〇〇〇円となる。

(三)  慰藉料 二〇〇万円

原告は本件事故により前記後遺障害を有するに至つたのみならず、右後遺症により勤務先の退職を余儀なくされたので、やむを得ず原告の妻がガラス工場に勤めるようになつたが、その収入だけでは生計を維持するのにも足りず、治療さえも満足には受けられなかつたものであり、その他、本件に対する被告側の交渉態度等諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛は二〇〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

四  結論

よつて、原告は被告に対し六四二万五、六八六円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四九年八月九日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の主張

一  請求原因に対する認否

(一)  請求原因第一項のうち、原告主張の頃、原、被告間に本八幡駅から浅草橋駅までの区間の定期乗車券による定期旅客運送契約が成立していたことは認めるが、その余は不知。

(二)  請求原因第二項のうち、原告が左下腿打撲傷および肋骨骨折の負傷をした事実のあることは認めるが、その余は否認する。

(三)  請求原因第三項のうち、原告が当時五七才であり、五七才の平均余命が一八・八五年、就労可能年数が九・四二年であることは認めるが、慰藉料額は争い、その余は不知。

二  被告の反論および抗弁

(一)  原告は電車のドアに左足くるぶし上部をはさまれたまま電車が発車したため受傷したと主張するが、このような場合電車は発車し得ない構造になつているので、原告主張のような事実はあり得ない。すなわち、

電車は旅客の安全を確保するため最後部乗務員室の両側に設置されている車掌スイツチでドアの開閉をするようになつており、車掌がこのスイツチを開位置に操作すると操作した側の全車両のドアが一せいに開いて各車両中央上部に設置されている赤色の側灯が点灯し(操作した側)、これと同時に電車運転士前の計器盤内のパイロツトランプが消燈して主電動機への電流回路が遮断され、車掌スイツチを閉位置に操作すると全車両のドアが閉じて側燈が消燈し、パイロツトランプが点燈し、主電動機に電流が通ずる回路が形成されて運転士の操作により発車が可能となる。しかし、車掌スイツチを閉位置に操作しても電車のドアが一五ないし二〇ミリ以上の間隙を残した不完全閉扉の状態になつている場合には、側燈は消灯しないで危険を知らせるようになつており、パイロツトランプも点燈せず主電動機にも電流は通じないので、運転士が発車の操作をしても電車は発車しない構造になつている。そして、以上の各装置はすべて連動装置になつており、このうちのいずれかの装置に故障または障害(人体または所持品等がドアにはさまれた場合など)があつたときは列車は発車しないようになつている。したがつて、もし原告の左足くるぶし上部がドアにはさまれたとすれば、ドアは不完全閉扉の状態となるから、パイロツトランプは点燈せず電車は発車しなかつたはずである。

さらに、当時亀戸駅ホームでは助役、運転主任各一名、乗客係二名、アルバイト学生三名の合計七名が電車の発着時に到着看視や出発看視を行つていたので、もし乗客の足が電車のドアにはさまれるようなことがあれば、これら係員がすぐその場に駈けつけ安全な状態に乗車させたうえで電車を発車させているはずであり、原告主張のような事実はあり得ないし、右係員らがこのような状態を目撃した事実もなかつた。

(二)  乗客の足がドアにはさまつたまま電車が発車し得ないことは前記のとおりであるが、仮りに発車時の閉扉の際瞬間的に原告が足をはさまれた事実があつたとしても、右程度では原告主張のような傷害を生ずることは常識的にあり得ず、また、原告が電車内にはいりドアが閉じて電車が発車した後他の乗客に押されたり、電車の自然動揺により他の乗客がよろめいたりして傷害が生じたとしても、これは被告の責に帰すべき事由に基く損害ではないから被告に賠償責任はない。

(三)  仮りに、被告に何らかの損害賠償責任があるとすれば、被告は原告に対し五万五、〇〇〇円の弁済をしている。

第四抗弁に対する原告の認否

被告主張の弁済は認める。

第五証拠〔略〕

理由

一  昭和四八年三月五日当時、原・被告間において、本八幡駅から浅草橋駅までの区間の定期乗車券による定期旅客運送契約が成立していたことは当事者間に争いがない。

二  ところで、原告は、右運送契約に基いて被告の電車に乗車中の前同日午前八時四〇分頃、亀戸駅総武線上りホームで電車内の混雑のため一たん降車客とともに電車から押し出され再度乗車した際、電車のドアに左足くるぶし上部をはさまれたまま電車が発車したため、左足をはさまれ体をねじ曲げられた不自然な姿勢のまま車内の混雑による乗客の圧迫を受けて下腿打撲傷、肋骨骨折、腰部捻挫の傷害を受け、その後右受傷のために左足に神経障害が生じ軽易な労務以外の労務に服することができなくなつた旨主張し、本人尋問においても右主張にそう供述をしているが、以下に述べるような点に照らすと右供述はにわかに措信することはできない。

(一)  受傷時刻について

原告は受傷時刻は午前八時四〇分頃であると主張し、本人尋問においても午前八時半頃であると述べほぼ右主張にそう供述をしているが、成立に争いのない乙第一号証によれば、原告は一週間後の三月一二日に亀戸駅に対して受傷の申出をした際は受傷時刻は七時半頃であると申し出ていることが認められ、受傷時刻についての原告の主張および供述には一貫性が認められないこと。

(二)  受傷時の状況について

原告は電車のドアが原告の左足くるぶし上部をはさんだまま発車したと主張し、本人尋問においてもドアに足をはさまれたまま電車が発車し数メートル走つた時助役らしい駅員が気づいて電車を止めドアを開けてくれたので足を中に入れた旨供述しているが、成立に争いのない乙第六号証および証人三角美津夫の証言を総合すると、電車のドアは乗客の安全のため電車最後部乗務員室両側に設置されている車掌スイツチを車掌が操作して開閉するようになつており、車掌が右スイツチを閉位置に操作すると電車のドアが一せいに閉じて各車両の両側に一個ずつついている車側灯が消灯し、同時に運転席の運転士表示灯(パイロツトランプ)が点灯して運転士にドアが完全に閉つたことを知らせ、電車を動かす電動機への電源回路が形成されて運転士の操作によつて電車の発車が可能となり、また、電車がホームに到着して車掌が車掌スイツチを開位置に操作すると各車両の操作した側のドアが一せいに開いて車側灯が点灯し、同時に運転席の表示灯ランプが消灯し電動機への電気回路も遮断される構造になつており、一つのドアでも完全に閉つていないものがあるとその車両の車側灯は消灯せずこれと連動した運転士表示灯も点灯しないし、電源回路も遮断されたままで電車は発車できないという安全装置になつており、右安全装置は本件電車の検査等を担当する津田沼電車区では二〇ミリの調整板を使つて二〇ミリ以上の物がドアにはさまると安全装置が働いて電車が発車不能になるよう定期的に検査をしていることが認められるので、原告主張のようにドアに原告のくるぶし上部をはさんだまま電車が発車するようなことはあり得ないこと。

(三)  受傷後の状況について

原告は、本人尋問において、当日会社に出たけれども足がしびれ胸も痛かつたので責任者に断つて社内で休み仕事はしなかつたし、翌日も休んだように思う、三月は休んだ方が多く、その後も仕事ができなかつたので会社から止めてくれといわれて止めざるを得なくなり、足の具合が悪いので新しい仕事を捜すこともできない旨供述しているが、前掲乙第一号証、成立に争いのない乙第四号証、証人高橋静修の証言によつて成立を認め得る乙第五号証、証人三井寿男、同高橋静修の各証言を総合すると、原告は当日下車駅に受傷の申出もしないで会社に出勤し、同僚等に足をはさまれてひどい目にあつたというようなことはいつていたが、上司に勧められても医者にも行かず通常どおりプラスチツク製品の荷造、自動車への積込等の仕事に従事し、翌三月六日から一〇日までの五日間も格別変つた様子もなく勤務していたこと、その後三月一二日の月曜日に早退して以降同月末まで欠勤し、四月は一九日出勤して内三回の遅刻、早退、四日間の欠勤があり、五月は一五日までに一〇日間出勤し、同月一六日以降は会社に何らの届出もしないまま欠勤が続いたが、出勤した日の作業状態については格別変つた点はなく、体の具合が悪くて仕事ができないというようなことは原告自身からも同僚等からも会社に対して申出はなかつたこと、および原告は本件事故以前にも二、三日続けて休むことが多く出勤状態は良好とはいえなかつたので、前記のように無断欠勤が続いても会社側から出勤を促されることもなくて退職扱いになつたものであるにもかかわらず、後に行政官庁に対して不当解雇された旨申告し、結局取り上げられなかつたこと、が認められること。

(四)  治療経過について

成立に争いのない甲第一号証の一(診断書)および右甲第一号証の一との対比によつて成立を認め得る甲第七号証(カルテ)によれば、原告は三月五日に国鉄のドアにはさまれ二、三日してから痛みが出てきた旨訴えて同月一〇日から柳北堂医院小川源太郎医師の診療を受け、三月五日受傷の肋骨骨折(左第五、六、七)および左下腿打撲傷があつて同月一五日現在なお二週間位の加療を要する見込である旨診断されていることが認められるが、右甲第七号証によると右医院へは昭和四八年三月一〇日から同年四月五日までの間に八回通院した後、同年九月一一日まで通院を中断しており、通院を再開した同月一二日の受診時には左下腿痛に加えて左腰から大腿にかけて痛みがあり、腰痛は四月一五日頃仕事中に「ガクツ」としてからである旨右医師に申し述べており、その後下腿のしびれ、歩行困難等の訴えが強くなつていることが認められ、原告の現在の症状は右四月一五日の出来事に起因するのではないかとの疑問も存すること。

なお、成立に争いのない甲第六号証および証人兼鑑定人藤川純俊の尋問の結果によれば、腰あるいは足をはさまれたことによつて腰椎あるいは脊椎にねじれを生じ、右ねじれによる神経の圧迫等によつて歩行障害が生じることも医学的には有り得ないことではないので、原告の症状は足をはさまれたことによつて生じたものであるとみても医学的には必ずしも不合理とはいえないことが認められるが、前記のとおり足をはさまれてから左足に神経症状が出るようになつたという原告の供述はにわかに措信し得ないものであり、また、原告の現在の症状は他の原因によつて生じたのではないかとの疑いも払拭し得ないので、右証拠を併せ考えても原告主張事実を認めることはできない。

三  もつとも、前記高橋証人の当日原告は電車のドアにはさまれひどい目に合つたといつていたとの証言、甲第一号証の一および甲第七号証の受傷日および受傷原因の記載、前記三井証人の証言によつて認められる当日の電車の混雑状態ならびに電車の構造等を併せ考えると、原告は亀戸駅で下車して再度乗車した際、電車のドアで足を瞬間的にはさまれ、また車内の混雑による乗客の圧迫を受けて下腿打撲および肋骨骨折の傷害を受けたものと認められないこともないが、原告が本件に関して被告から五万五、〇〇〇円の弁済を受けていることは当事者間に争いがないところ、前認定の小川医師の診断内容、原告の通院ならびに勤務の状況からすると原告の受傷内容は軽度で、骨折はいわゆる骨にひびがはいつた程度のものであり同年三月末か四月上旬には治癒もしくはほとんど軽快していた可能性が大きいと考えられ、さらに前認定の原告の本件受傷前の勤務状況からすると前記三月一三日から同月末日までの欠勤も右受傷のためのみを速断することはできないので、結局、本件全証拠によつても原告が右受傷により被告から弁済を受けた五万五、〇〇〇円以上の損害を蒙つたものとは認め得ない。

四  よつて、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇)

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